1年ぶりに新作舞台を上演。演劇作家・藤田貴大が語る、マームとジプシーの現在地と未来

誰かにとっての大切なエモーショナルな瞬間を、洗練された舞台美術と音楽が形成する繊細で美しい世界観の中に丁寧に描き出し、高い人気を誇る劇団、マームとジプシー。その最新作となる『dusk dark dawn』は、自らの私的体験をベースに「dusk」「dark」「dawn」の3章で構成。主宰であり、脚本・演出を務める藤田貴大の、今想うこととは?

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    言葉にならなかった声も、届けたいと思った

    ── 今、マームとジプシーのホームページにアップされているインタビューの中で、新作を作るのはこれが最後かも、というようなことを話されています。まずはこれがどういう意図なのか伺いたくて。

    新作って言葉が、なんか自分の中で年々難しくなっているんです。“新しい”と言うからには、これまでの考え方を1回捨てるぐらいの気持ちで作ったものじゃないと〝新作〟と言いたくないなって。

    とはいえ、作品を立ち上げるとき、どうしたって演出も言葉もこれまでの自分の引き出しから使ってしまう場面もある。でもそれって、芸術家として本当に新作と呼べるのか、と考えるようになってしまって。去年、『Cartain Call』という、演劇を題材にした作品を発表したんだけれど、それが結構僕の中で最後の新作だなと思っていた部分がありました。ただ、その公演が終わってからしばらく考える時間があって、新作になりそうな題材が自分の中で見つかってきたのが、今回の公演に繋がっています。

    ── ということは、単にこの先、過去作の再演だけをやっていく、ということではないんですね。

    来年、マームとジプシーが20周年を迎えます。なので来年のスケジュールは再演をベースに考えています。この先、外部の公演でいくつか原作ものの舞台が決まっていたり、結構先々までマームのオリジナル作品ではない作品のスケジュールで埋まりつつあります。

    自分より上の世代の劇作家を見ていても、40歳くらいからガクッと創作のペースが落ちていっている印象もあるから、自分もいよいよそういうフェーズなのかと理解しつつも、新しいと着想できたなら、新作として発表したいですね。

    2025年『Curtain Call』より(写真・井上佐由紀)/昨年の藤田さんと青柳いづみさん、成田亜佑美さんのインタビュー記事はこちらから。

    ── そんな中、次回公演の『dusk dark dawn』はどんな作品になるんでしょうか?

    作品のイメージは、『Cartain Call』を作っていく中で同時に、自然と思いついたんです。以前からずっと、“言葉のない演劇”というものに憧れがあって、できるだけ言葉を、プロットの中にすし詰めにしたくないと意識して作っているんですけれど、なんだかんだでやっぱり言葉を、時間内にきっちり嵌めてしまうところがありました。『Cartain Call』を見つめながら、同時に、まだ描いたことのない言葉のないシチュエーションを、どうしたら声のない身体だけで見せていくことができるかを考えたりしていました。『dusk dark dawn』というタイトルは、去年の秋にイタリアでツアーをしている最中に思いついたものです。

    それで、秋が過ぎて、去年の12月に祖母が亡くなったんです。94歳で老衰だったんだけど、そのときにいろんなことが頭の中を巡りました。祖母は群馬の前橋に80歳まで住んでいたんだけれど、骨粗鬆症を患ったり、家が取り壊されるということも重なって、長女の母が住む北海道の伊達に移住したんです。

    80年間群馬から出たことがなかった人が、いきなり全然知らない、しかも雪国で暮らすことになって、最期は介護施設で亡くなったんだけれど、僕なりに、その祖母の晩年について思うことがあって。

    ── では、『dusk dark dawn』というタイトルの時点では、どんなものを描くのかは決めていなかった?

    そうですね。マームとジプシーは大体、どの作品もそうなんだけれど、最初は舞台の具体的なレイアウトはなんとなくイメージがあって決めているけれど、描きたいものはまだない、というスタートなんですよね。ただ、そのイメージが膨らんでいくと、こういうふうに描きたいことに出会っていく、というか。

    ── 先ほどおっしゃっていた“言葉”についての想いも伺いたいです。

    以前に『cocoon』という沖縄戦を扱った作品を作ったときに、もちろん沖縄戦のことをいろいろ調べるわけです。あの戦争を体験した人たちが当時のことを語ってくれたから、自分たちまで言葉が届いて、知ることができたんだな、と。でもそれと同時に、言葉にならなかったこと、できなかったことも、届いた言葉以上にたくさんあるんだろうなと想像してしまうんです。

    きっと言葉にして語るという選択ができない人もたくさんいたはずですよね。言葉にすることを止めてしまうほど、凄絶な体験をしたからか。声になっていない声への想像は、すごく大切なことなんじゃないかと思うんです。昨今の犯罪や暴力も、被害者が声を上げない限り明るみにならなかった、声になっていないから明るみになっていないことが膨大にあるだろうと容易に想像できます。それって、ものすごく理不尽で腑に落ちない。

    演劇は、言葉で届けるという前提に立ちすぎているところがあるよな、と演劇に携わりながら思うんです。言葉にならないことも、言葉にできなかった声も、確かに存在していて、それを演劇は観客や誰かに届けることができないだろうか。ここ数年、ずっと考えていたんですね。

    祖母は、亡くなる5、6年前から声を発してコミュニケーションが取れない状態でした。その祖母の姿が、自分がいま抱えている問題意識と繋がって、聞いてみたかったのに聞けなかった言葉を、演劇で描くことができないかな、と。

    2022年『cocoon』より(写真・岡本尚文)/当時の藤田さんのインタビュー記事はこちらから。

    ── 『dusk dark dawn』は3章で構成されるということですが、それぞれの章ごとに描かれるものが変わるんでしょうか?

    そうですね。duskは夕暮れのことで、darkは暗闇、dawnは夜明けとか陽が昇るまでの時間で、マームの過去の作品も1日の出来事を書いたものが多いけれど、今回もそれなのかな。

    祖母が亡くなったときに連絡が来たのが夕方で、その日のうちに北海道に帰ろうと思ったんだけれど、新千歳空港までは行けても伊達までの交通機関がなくて、次の日の早朝に帰ったんですけど、それも夕暮れから朝までの1日のこと。ストーリーといえば、それくらいでいいのかなと思っています。だから今回、夕まぐれの時間があり、真夜中の時間があって、夜明けに家族に会って、という流れにしようとしていて、duskではひとりの女性の視点から描かれているんだけれど、darkではその妹の視点になって、dawnでは主語が家族になる、みたいなことを考えています。

    ── あえて3つの章立てにした理由はありますか?

    そう、ちょっと前に、ヨルゴス・ランティモスの「憐れみの3章」という映画のパンフレットに寄稿するためにその映画を観たけど、物語がタイトル通り3章に分かれていて、配役は変わるけど役者さんは同じ数人で、それぞれの章がゆるく繋がっている構成になっていて、そのプロットが楽しいなと思ったとかもありました。

    あと今回の公演では、長い時間集中力が持たない人に向けて、それぞれの章の間に10分休憩を入れたリラックス・パフォーマンス回の日を設けているんです。最近、子どもたちに観せるということもマームのテーマのひとつとして考えているので、そういうことをやってみようかという話になって。岸田國士戯曲賞をもらった2011年の『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』も、2017年の『sheep sleep sharp』も3部作なんだけれど、今やるんだったらそれぞれの章の間に微妙な行間があってもいいかもね、という話は周りのみんなとしていたんです。演劇って、上演時間や作中で流れている時間の感覚をどれくらい自覚して扱っているかが大事だと思うので、今一度、自分の中でそれを見直そうと思って。

    体にフォーカスした作品っていうのも面白いかなと思っていて

    ── 言葉のない表現というと、ダンスのようなものもありますが、どういう形で?

    たとえば、エレベーターに乗っているときって、人と話さないじゃないですか。電車に乗っているときも、誰かと一緒にいるなら話すけれど、9割の人は話していないし、車を運転しているときもそう。誰かと話していない時間って意外に多いのに、演劇ってよく喋りますよね。あたかも喋ることがこの世界のすべてみたいに。それもあって、喋らなくていい、かつ演劇として成立するシチュエーションを探すのが、最近の趣味みたいになっているんです。

    以前に、美術家で演出家・振付家のインバル・ピントと『ねじまき鳥クロニクル』という作品を制作したときに、コンテンポラリーダンスと演劇ってミックスしていけるんだと気づいたこともあって、このタイミングで、身体にフォーカスした作品っていうのも面白いかなと思って。つまり、ダンスとして見せていく表現と、無言のシチュエーションと、台詞/言葉を自分のバランスでミックスさせていこうと思っています。それで今回、あっちゃん(成田亜佑美)以外は踊れる人をキャスティングしています。

    ── 成田さんは、これまで多くの作品に出演されていますけれど、今回の成田さんのキャスティング理由というと?

    『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』とか、自分が“家族”というモチーフを扱う作品にあっちゃんがいることが多くて。あんまり意識してなかったんだけど、そのことに気づいたんですよね。家とか、家族みたいなシチュエーションを、あっちゃんを中心に据えて考えてきたな、という。(岸田國士戯曲)賞をもらえたのも、ほとんどあっちゃんが作品の中に存在してくれた結果かと。それで今回も、真っ先に声をかけました。

    成田亜佑美さん(2017年『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと―』より。写真・井上佐由紀)

    ── それは、成田さんだから背負えるものがあるからだと思うのですが、成田さんの俳優としての魅力というのは?

    あっちゃんがいる稽古場って、自然とあっちゃんらしい座組が出来上がってくる感じがいつもあるんですよね。抽象的な言い方になってしまいますが。18歳のときから一緒に演劇をやっているから、作品の内容以外のところで僕がどういうチームを望んでいるかとかがわかってくれているんだと思う。あとは役者さんとして、なんていうか、何か一点への眼差しや、あるいは誰かを喪失することへの、なにか執着、それを共演者と編みあげていくのが独特で、あっちゃんにしか作れないなにか生き物みたいな、そんな強さがありますよね。や、勝手に言っていますが。

    たとえば、青柳(いづみ)という俳優がいるんだけれど、青柳と作るときは、“対・人”というよりは、青柳ひとりの自問自答の中で揺り出されていくものについて、一緒に考えてきたと思うんです。でも、あっちゃんは、自分ではなく外との関わりの中で、異様に独特な身体が出てくるので、それがすごいな、自分の作品じゃないみたい、といつも思いながら見ています。

    僕は18とか19のときに役者さんになりたくて上京したわけですが、成田亜佑美や青柳いづみに出会い、ふたりそれぞれとんでもない天才で、そりゃ自分は挫折して、役者さん辞めるよな、って最近考えてました。未だにふたりと関わることができているのが奇跡だなと思っているし、その価値のある自分か? と自分を律し続けなくては、と日頃から心がけています。

    ── 成田さんは、会話のわずかな言葉の中に、いろんな感情をのせられる俳優、という印象があります。

    役者さんって、もちろんセリフを言えばOKではなくて。サブテキストっていうのか、どうしてセリフを発語するのかに至るまでの、台本には書かれていない“音”の膨らませ方が、あっちゃんはすごく独特なんですよね。

    ── 他の3人のキャストについても伺わせてください。

    仲宗根葵さんは、『cocoon』のオーディションで出会って、最近結構出てもらっています。もともとダンスもやってきた人で、一昨年から昨年にかけてイタリアの俳優と制作した『Chair/IL POSTO』にも出てもらったんだけれど、彼女の身体性はとても助けになりました。

    髙宮梢さんは、2016年に始動した「ひび」というプロジェクトのメンバーのひとりですが、ダンサーの関かおりさんのカンパニー「関かおりPUNCTUMUN」にも所属していて、この3人の中では、一番コンテンポラリーダンスの解像度の高い人かもしれない。

    中村未来さんは、ダンサーの酒井幸菜さんの後輩で、僕が演出した『ロミオとジュリエット』や『sheep sleep sharp』にも出演しました。しばらく舞台から離れていて、今回6年ぶりくらいに出てもらうんだけれど、身体の動きがやっぱり特にきれいですね。

    3人になにか統一感があるわけじゃないんだけれど、それぞれ身体性に強くシンパシーを感じる3人にお願いした感じです。

    右から3人目が仲宗根葵さん(2024年『Chair/IL POSTO』より)

    髙宮梢さん(2025年『線に宿る 点を巡る 夜を歩く』より。撮影:金井真一)

    中村未来さん(2019年『彩の国さいたま芸術劇場× 藤田貴大ワークショップ公演vol.1 ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景』より。撮影:細野晋司)

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    ── 身体性にシンパシーを感じるというと?

    あっちゃんは、俳優として関わっている感覚があるけれど、それとは違う意味で、シンパシーを感じる部分があるんです。たとえば、こう振り向いてって言ったときに、言葉で説明しなくても、僕がどう動いてほしいかを身体的に理解している、というのかな。

    今回に始まったことではないけれど、マームとジプシーって微妙にへんな動きをしたりするじゃないですか。あの動きの理由を言語化するのは難しいのだけど、それが伝わるかどうか、その部分が感覚的なところで通じる人たちをキャスティングしました。

    結局演劇が一番好きなんだなと思わせてもらえるのが楽しいです

    ── この先、マームとジプシーではない形で発表する作品が続くとおっしゃっていましたが、今は、そういうフェーズなんでしょうか?

    ある意味で、ありがたいことなのかもしれないけど、バジェットの大きな商業的な仕事も増えつつあるんですね。そういう作品に関われることは楽しいんですよね。予算の使い方も、マームとジプシーだけではやれないことを実現させられたり、今までやってきたことをやるにしても、その規模感をグッと上げられたり、解像度を上げられたりするんです。

    蜷川(幸雄)さんも生前、同じようなことを言っていたんですよね。蜷川さんも、40歳ぐらいまでやっていた現代人劇場を解散させて商業作品を手がけるようになって、そこで学んだことが大きかったと話していて。今、大きい劇場での上演の準備を、そのチームのスタッフさんたちとミーティングを重ねているんですけれど、その技術力の高さに驚くことも多くて。演劇ってどこまでいってもアナログなのに、しかしちゃんと進化していてすごいなと思うし、結局演劇が一番好きなんだなと思わせてもらえるのが楽しいです。

    マームとジプシーのオリジナル作品の制作は自分を削るような作業になるから、しんどいんです。この作品を発表した後、2年くらい先までは、こういう苦しさとはしばらく向き合わなくていいかもしれない。でもそう言うけれど、なにかまた思いついて、絶対にまたどこかで新しく作りたくなるんでしょうけど(苦笑)。

    Profile

    藤田貴大

    ふじた・たかひろ 1985年生まれ、北海道伊達市出身。演劇作家。2007年に「マームとジプシー」を旗揚げ。2011年に『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』で第56回岸田國士戯曲賞を、2016年には『cocoon』で第23回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。

    マームとジプシー『dusk dark dawn』

    Information

    5月2日(土)〜6日(水) 東京・新宿/LUMINE0 作・演出/藤田貴大 出演/髙宮梢、仲宗根葵、中村未来、成田亜佑美 一般6,000円ほか マームとジプシーHPはこちら

    写真・小笠原真紀 インタビュー、文・望月リサ

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